2015年10月25日日曜日

2015年10月20日火曜日

まいどおおきに食堂 東大和食堂



まいどおおきに食堂 武蔵村山食堂 さんまの塩焼き




武蔵村山の魅力

武蔵村山の魅力



7/12 後ヶ谷戸のお祭りでごちそうになりました



7/16 大雨の日 お祭りのビデオを見せていただきました


7/25 農業資料館をみせていただきました



歴史・文化

お祭り

7/12 十二所神社のお祭り


7/12 後ヶ谷戸のお祭り



7/25 お祭りのアルバムを見せていただきました


8/21 デェダラ祭りのねぶた制作中 


8/24 村山党の会 紙で出来た甲冑


施設

農業資料館 7/25


食べ物


村山うどん




お土産に


紀の国屋の和菓子 7/25


森田園の狭山茶コーラ 7/19


2015年10月17日土曜日

経済産業研究所 山下一仁

RIETI 独立行政法人 経済産業研究所

独立行政法人 経済産業研究所

 RIETI(独立行政法人経済産業研究所、英語名称:The Research Institute of Economy, Trade and Industry)は、2001年に設立された政策シンクタンクです。理論的・実証的な研究とともに政策現場とのシナジー効果を発揮して、エビデンスに基づく政策提言を行うことをミッションとしており、これまで10年以上にわたる活動を通じて内外から高い評価を得ています。

ホームフェロー(研究員)山下 一仁>フェローの活動


2015年10月15日木曜日

武蔵村山の柿





武蔵村山の直売所で5個200円で購入

村山貯水池


参考 

多摩湖のページ


多摩湖の年表

○明治42(1909)年4月 東京市水道拡張の調査を内務省市区改正委員会に依頼。同委員会は工学博士中島鋭治らにその調査を委嘱。

○明治44(1911)年12月 中島鋭治、水道拡張調査を市区改正委員会に提出(第1案:大久野貯水池、第2案:村山貯水池)

○明治45(1912)年5月 市区改正委員会、第2案採用を決定。

○大正元(1912)年9月7日 水道拡張設計(村山貯水池案)、内閣の承認を受ける。

○大正2(1913)年11月 東京市は水道拡張設計事務所を設置し、中島鋭治が顧問となる。

○大正3(1914)年10月 村山貯水池敷地の測量が終わる。続いて山口貯水池仮定地測量に着手する。

○大正4(1915)年2月 村山貯水池敷地買収価格が発表される。

○大正5(1916)年5月23日 村山貯水池起工。下堰堤より工事を開始する。

○大正5(1916)年6月4日 村山貯水池敷地内(東村山村回田)で地鎮祭を行う。

○大正6(1917)年10月 村山貯水池上堰堤起工。

○大正9(1920)年6月20日 東村山駅-清水村間の東京市専用鉄道の開通式を挙行。

○大正10(1921)年3月31日 西多摩村-村山村間の軽便鉄道(道路扱い)が竣工。

○大正11(1922)年11月 村山貯水池上堰堤の竣工式を挙行。

○大正12(1923)年7月 羽村村山線(導水路)の通水と村山上貯水池の水張りを開始。

○大正12(1923)年8月20日 上貯水池取水塔が完成。

○大正12(1923)年9月1日 関東大震災発生。村山貯水地堰堤は小さな亀裂が生じた程度で目立った被害はなかった。

○大正13(1924)年2月 村山境線(取水路)の通水開始。

○大正13(1924)年3月30日 村山貯水池畔で通水式を挙行。

◎大正13(1924)年3月31日 村山上貯水池が竣工。

○大正14(1925)年2月17日 工学博士中島鋭治が死去(享年68歳)。

○大正14(1925)年7月21日 宅部池で関田辰夫君(10歳:たっちゃん)が溺死。

○大正14(1925)年7月31日 下貯水池第一取水塔が完成。

◎昭和2(1927)年3月31日 村山下貯水池が竣工。

○昭和2(1927)年8月 山口貯水池築造工事が内閣より認可される。

○昭和3(1928)年3月7日 多摩湖鉄道株式会社が設立。

○昭和3(1928)年3月 山口貯水池が起工。

○昭和3(1928)年4月6日 多摩湖鉄道の国分寺-萩山間が開業。

○昭和3(1928)年5月末 村山ホテルが開業。

○昭和3(1928)年?月 村山織物協同組合事務所を建設。

○昭和4(1929)年5月1日 武蔵野鉄道の西所沢-村山公園間が開業。

○昭和4(1929)年6月 山口貯水池地鎮祭を挙行。

○昭和5(1930)年1月23日 多摩湖鉄道の萩山-村山貯水池(仮駅)間が開業。

○昭和5(1930)年4月5日 旧西武鉄道(川越鉄道)の東村山-村山貯水池間が開業。

○昭和7(1932)年10月15日 山口貯水池通水式を挙行。

○昭和8(1933)年9月 狭山富士が完成。

◎昭和9(1934)年3月 山口貯水池が竣工。

○昭和9(1934)年4月 山口貯水池竣工式を挙行。

○昭和9(1934)年7月 玉湖神社の造営開始。

○昭和11(1936)年6月 中島鋭治博士の頌徳碑が建立。

○昭和11(1936)年12月20日 玉湖神社の社殿が竣工。

○昭和11(1936)年12月30日 多摩湖鉄道の村山貯水池仮駅-村山貯水池間が開業。

○昭和12(1937)年4月29日 下堰堤下に狭山公園が開園。

○昭和12(1937)年?月 村山貯水池の防空擬装始まる。

○昭和15(1940)年3月12日 多摩湖鉄道、武蔵野鉄道に合併。

○昭和15(1940)年9月 村山射撃場を設置。

○昭和16(1941)年12月 村山貯水池畔に高射砲などの軍事施設が設置される。

○昭和18(1943)年7月 東京都制を施行。

○昭和19(1944)年2月 武蔵野鉄道の西所沢-村山公園間が休止。

○昭和19(1944)年8月 山口貯水池防衛工事竣工。

○昭和19(1944)年10月 村山下貯水池防衛工事竣工。

○昭和20(1945)年9月22日 武蔵野鉄道と旧西武鉄道が合併。

○昭和22(1947)年?月 狭山貯水池愛護会が発足。秋から機関誌「狭山」創刊。

○昭和23(1948)年4月1日 西武鉄道の東村山-村山貯水池(旧狭山公園)間が再開。

○昭和25(1950)年1月 村山ホテルを大改装、多摩湖ホテルと改称しオープン。

○昭和25(1950)年1月25日 東村山文化園(西武園の前身)が開園。

○昭和25(1950)年5月24日 村山競輪(西武園競輪の前身)が開設。

○昭和25(1950)年8月1日 「おとぎ列車」多摩湖ホテル前-上堰堤間が西武園の遊戯物として開業。(翌年9月16日、ユネスコ村まで延長)

○昭和26(1951)年3月1日 西武鉄道、村山貯水池駅を西武園駅と改称。

○昭和26(1951)年3月21日 狭山湖駅伝始まる。

○昭和26(1951)年9月1日 西武鉄道多摩湖線の狭山公園前駅を多摩湖駅と改称。

○昭和26(1951)年9月16日 東村山文化園を西武園と改称。ユネスコ村が開業。

○昭和26(1951)年10月7日 西武鉄道狭山線の西所沢-狭山湖(旧村山公園)間を再開。

○昭和27(1952)年7月15日 「おとぎ列車」が地方鉄道に昇格、西武鉄道山口線となる。

○昭和29(1954)年4月5日 慶性門の移築工事が竣工。

○昭和29(1954)年5月3日 大和村、町制施行で大和町となる。

○昭和29(1954)年5月26日 村山競輪が西武園競輪と改称。

○昭和32(1957)年11月 小河内ダム竣工式。

○昭和33(1958)年4月 東村山浄水場の建設工事始まる。

○昭和34(1959)年12月12日 狭山スキー場がオープン。

○昭和36(1961)年秋 多摩湖ホテル(村山ホテル)が取り壊される。

○昭和38(1963)年?月 所沢市営国民宿舎湖畔荘がオープン。

○昭和38(1963)年?月 「東村山音頭と多摩湖小唄」レコード発売。

○昭和39(1964)年10月1日 西武園ゴルフ場がオープン。

○昭和39(1964)年10月10日 東京オリンピック開幕。

○昭和40(1965)年?月 村山射撃場が閉場。

○昭和40(1965)年3月 狭山貯水池愛護会の機関誌「狭山」終刊。

○昭和40(1965)年6月 狭山青年の家が開所。

○昭和40(1965)年11月15日 西武園に堤康次郎氏の銅像を建立。

○昭和45(1970)年10月1日 大和町、市制施行で東大和市となる。

○昭和47(1972)年12月 都市計画「東大和緑地」決定される。

○昭和48(1973)年2月24日 下貯水池第二取水塔が完成。

○昭和51(1976)年2月 多摩湖遺跡群の発掘調査開始(3月終了)

○昭和53(1978)年3月25日 西武鉄道の駅名改称で、多摩湖→西武遊園地、狭山湖→西武球場前、西武遊園地(山口線)→遊園地前となる。

○昭和54(1979)年4月8日 西武ライオンズ球場が開業。

○昭和54(1979)年6月1日 都立東大和公園が開園。

○昭和55(1980)年5月 貯水池周囲道路整備工事始まる。(翌年3月完成)

○昭和59(1984)年?月 所沢市営国民宿舎湖畔荘が廃止。

○昭和59(1984)年5月14日 西武鉄道山口線が新交通システム移行のため営業休止。

○昭和60(1985)年4月 東大和市立狭山緑地開園。

○昭和60(1985)年4月25日 西武鉄道山口線が新交通システムとして西武遊園地-西武球場前間の営業再開。

○昭和62(1987)年4月25日 掬水亭が火災で焼失。

○昭和63(1988)年3月 狭山貯水池愛護会解散。

○平成2(1990)年4月 「東やまと20景」決まる。

○平成2(1990)年4月12日 トトロのふるさと基金委員会が発足。


村山貯水池


ウィキペディア

 村山貯水池は、多摩湖の通称で呼ばれる、東大和市の狭山丘陵の渓谷に造られた1927年(昭和2年)完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。


 東京市の人口増加に対応した水源確保のため、多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管にて村山貯水池に導いて貯水し、ここから境浄水場へ導水して浄水処理を行い、和田堀浄水池を経て市内へ給水する目的で、東京都北多摩郡大和村(現:東大和市)に1916年から1927年まで10年の歳月をかけ建設された。

工事にあたり、資材運搬と導水管(羽村村山線)工事のために羽村-山口間に軽便鉄道を敷設した。この鉄道は完成後に廃止となったが、山口貯水池建設工事の際に復活し、資材運搬に利用された。廃線跡の一部は東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線などのサイクリングロードとして整備されている。

 村山貯水池は東京都水道局の水源のひとつ。西の村山上貯水池と東の村山下貯水池に分かれている。また、東京都内の他県にまたがらない湖の中では最大である。

村山貯水池というものの、現在の武蔵村山市からも東村山市からも外れており現在は東大和市にあるが、これは付近の旧地名である「村山郷」から来ているためである。

貯水池の堤体(堤防)は、太平洋戦争中に爆撃対策としてコンクリートで強化された。
2003年(平成15年)からは堤体の耐震補強工事が実施されていたが2009年(平成21年)3月に完成した。工事中は堤体付近への立ち入りが出来なくなっていたが、完成に伴い一般市民へと開放された。その工事の状況などを説明している「村山下貯水池工事インフォメーションセンター」、工事の状況が見られる「見晴台」が堤体の南側に設置されていた。

第一村山線と第二村山線で東村山浄水場及び境浄水場に原水を送水するが、バックアップ用として東村山浄水場経由で朝霞浄水場及び三園浄水場にも送水することがある。





村山下貯水池工事インフォメーションセンター ブログ


 多摩湖堤体強化工事 完成に伴い平成21年4月30日をもちまして、閉館させていただきます。記事



山口貯水池

ウィキペディア

山口貯水池は狭山湖の通称でよばれる、埼玉県所沢市・入間市にある1934年(昭和9年)完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。

 多摩川(羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰(羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市の東村山浄水場、武蔵野市の境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。
埼玉県所沢市・入間市に位置しているが、東京都水道局管理のため、当然ながら埼玉県の上水道としては供給されていない。

1998年(平成10年)から2002年にかけて、堤体の上流側と下流側に腹付け盛土を行い堤体の断面規模を大きくする耐震強化工事を実施した。

北岸には根古屋城の城跡が存在する。
隣接する東京都東大和市の村山貯水池(多摩湖)も同じ理由で作られた人造湖。1927年(昭和2年)完成。

武蔵村山 散歩