むかし父の青森の実家であんずを食べた思い出がある。
木に登って熟しかけた柔らかなものを選んで食べたときの香りが蘇った。
そのときほとんどの実は青かった。
もしかしたら、あんずではなかったのかもしれない。
たしかめたくても、今のぼくにとって、青森はまだ遠い。
道路のみどり アンズ
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参考
青森のあんず「八助」 サイト
現在の岩手県、盛岡南部八代藩主、南部利視の八男として生まれた八助(本名信居)は、延享3年(1746年)三戸左京と改名し青森県三戸郡相内村(現南部町)に移り住みました。新種の果樹開発に興味を持ち日々研究に取り組んでいた左京は、ある日、神社の境内の桑の実と南部梅を交配させ、年月をかけてあんずを開発しました。
また、左京の長男として生まれた三戸八助も、父の姿をみて育ち研究に打ち込むのですが、17歳という若さで亡くなってしまいます。当時の婚約者であった清姫は八助を心底愛し、病床についた八助の顔を見てあんずの開発を決心しました。
清姫はあんずを若者と思い、甘酸っぱいあんず「八助」を誕生させたという恋物語が今も語り継がれています。
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